対談の様子。左から、平和合金・藤田和耕氏、中村哲也氏
平和合金で製作された中村氏の作品。韓国・ソウルに設置されている(アルミ製・18m×10m)
江口寿史氏の代表作の1つ「ストップ!ひばりくん」の作品より、1983年に「週刊少年ジャンプ」に掲載された扉絵を立体化
リアル・イラストレーションの先駆的存在である空山基氏のイラストを立体化した作品。特に右の作品は、空山氏がもともと立体にしたかったモチーフだという
展覧会後、このように平和合金が受注する像の原型製作の仕事も担う。写真は二宮尊徳像
2016年春、東京・表参道のスパイラルホールで開かれた鋳物の展覧会。
「ALLOY&PEACE(合金と平和)」と名付けられたその展覧会は、ジャンルを超えたトップクリエイター6人の作品を先進的な鋳物彫刻として展示するとともに、元になったドローイング・絵画作品や、鋳造過程の原型などもあわせて展示し、金属造形の新たな価値観を発見・考察するという画期的なものでした。
(参考:http://www.gei-shin.co.jp/books/ISBN978-4-87586-491-2.html)
クリエイター6人の作品から12点の鋳物彫刻をこの展覧会にあわせて鋳造したのは、大型鋳造を得意とする高岡の鋳造会社、平和合金です。6人のうちの1人であり、この展覧会の企画者・コーディネーターでもある現代美術作家、中村哲也さんとの協働により実現しました。
その道のりや生み出されたものについて、中村さんと、平和合金の担当、藤田和耕さんのお2人に伺いました。今回は対談形式で紹介します。
-平和合金さんと中村さんが協働されることになった経緯は。
【中村】
最初に作品を平和合金さんに造っていただいたのは20年以上も前になります。丹波市にモニュメントを造ることになり、大型の鋳物が造れる工場を探していて、紹介されたのがきっかけです。その後また大型のモニュメントを韓国に造る機会があり、お願いしたのが2013年ごろのことです。(注:写真2枚目の作品)
こんな大きいものを造ってくれるところって、他にないんです。「できますか?」と聞いたら、「できますよ」と快諾いただきました。
【藤田】
実際、大きな仏像などは多く手がけていますが、現代アートとしての大きなモニュメントはそれまで造ったことがなかったんですよね。中村さんの作品が初めてでした。
-展覧会は、どのような流れから?
【中村】
韓国のモニュメントが2014年に完成したあと、ちょくちょく平和合金に伺うようになりました。一方で平和合金の総務部長の方が特にアートに関心が高く、東京に来られた際によく現代アートなど、様々な美術作品を一緒に観て回っていました。そういうなかで、「平和合金でもこういう展覧会ができたら」という話が出たのが発端です。
それで、「面白いことをやりたいね」と。面白いことっていうのは、人が集まってくること。そこには未来性、将来性があります。頭で考える正しいことよりも、わくわくするね、これちょっとやってみたいね、いいね、という感覚が大事。
せっかくやるなら、最高のアーティストを集めてやろう、ということで動き出しました。一緒に仕事をしたい憧れのアーティストをリストアップして。
【藤田】
私ひとりでは絶対できないことですが、社内で協議して、「鋳物屋さんが単独でそういう企画はやったことはないし、やってみよう」ということで挑戦しました。そしたら大当たりでしたね。
それまでは、作家さんと直に鋳物のやり取りをすることがあまりなくて、大抵間にいる第三者からの注文だったんです。だから声を直接聞けるというのはモチベーションも違いますね。
【中村】
そういう機会を展覧会でつくれたのは、非常に大きいと思っています。
-韓国のモニュメント納品(2014年)から展覧会までの期間(2016年)がずいぶん短いですが、準備期間は…?
【中村】
1年くらいです。
作家1人につき何個も作品をつくったんですが、その原型製作は僕と黒部在住のアーティスト清河北斗さんで担当しました。展覧会にあわせてインタビュー入りの図録も制作したんですが、そのインタビューも、書き起こしも、執筆も、すべて僕がやっています。
【藤田】
たくさん原型が来るから、「一体どれだけあるんですか?」となりましたね(笑)。
展覧会直前まで制作していました。哲也さんは企画者であり、作家さんとの打ち合わせや僕らとの打ち合わせも必要だから、ずっと間に挟まれていて本当に大変だったと思いますよ。
【中村】
でもね、楽しかったからできたんです。
みんな、一緒に仕事をしたかった憧れのアーティストだから。打ち合わせが楽しくてしょうがなかった。空山基さん(参画アーティストの1人)なんて、僕が中高生のときからの憧れですから。
声をかけたアーティストは、みなさん会ったことのない方ばかりでした。でも、ご自分の絵が立体になるということで、ほとんど皆さん二つ返事で引き受けてくれたんですよ。
-一番苦労したことは?
【中村】
時間がなかった、ということだけですね。
あと半年あればもっとすごいものができたと思います。 ただ、時間がなかったから面白いことができたというのも事実です。
完成した鋳物作品だけでなく、イラストレーション・絵画作品や、粘土原型や磨く前の素の鋳物を並べたりもしたんですが、自分がお客さんの立場で観てもバリエーションがあって面白かったですね。普段滅多に見られない、造る過程も見せることができたので。
-かなり多くの方が来場されたのでは?
【中村】
すごかったですね。オープニングレセプションで人が入りきらないくらいでした。
作家さんのネームバリューと平和合金の技術力、お互いの力を利用してうまくやることができました。
【藤田】
高岡のほかの鋳物屋さんもわざわざ東京まで観に来てくれていましたね。
-展覧会の作品制作には、高岡のほかの職人さんも関わったのですか?
【藤田】
着色や研磨はそれぞれ社外の職人さんに外注していました。
【中村】
実は目論見があって。展覧会で終わっちゃうと面白くないね、そこから展開させたいね、ということで、それぞれの作家さんが自分の作品を立体にしたいときに、平和合金に発注するような仕組みになればいいなと思っていたんですよ。
それで実際、たとえば展覧会のあとに空山さんの作品で10mの像の制作につながったり・・・。
【藤田】
10mは私個人が経験したなかでは最大でしたね。
【中村】
いわゆる仏像と違って、最後は最新技術を使った塗装で仕上げることになったんですが、その前段階で、平和合金さんのところで作風に合わせて表面を滑らかにしないといけなかったんですよ。 そういう技術を作家側から職人さんに求めることになりました。
【藤田】
今までに扱ったことのなかった素材で金属の表面を綺麗に仕上げる技術を、僕らも勉強させてもらいましたね。 なので、特に研磨職人さんはなかなか通常にはないものを磨けたのではと思います。高度な技術が必要になるので、そういう意味では職人を育てる意味で非常にいいのかなとか、鋳物のレベルアップも求められるので、それがすごくいいかなと思っています。
-展覧会を通じて、新たな技術も新たな仕事も得ることができたし、注文を受けるたびに平和合金さんもアップデートしているということですね。
【藤田】
アップデートしていかないと、もう全然ついていけないんですよ(笑)。
【中村】
作家は、鋳物が造られる工程を知らない。 だから、たとえばカメラならカメラと同じものを鋳物で造ってくれ、と簡単に頼むわけです。ただ、鋳物ってのはそういうものじゃない。磨かなきゃいけない。でも、お客さんはそれを知らないから頼む。それに、平和合金はちゃんと応えるんです(笑)。
この展覧会以降、アーティストからしても鋳物がちょっと近くなった気がしますね。実際、鋳物にする作家さんは増えたんじゃないかな?それまではあんまりなかったですよね?
【藤田】
そうですね。今まではそんなに現代アート系では造ってこなかったですね。
この展覧会を機に現代アートの仕事が増えたのは事実ですし、お客さんにとっては樹脂で造るのとかかる時間は同じで、金属のほうが耐久性もあるので、非常に好評価をいただいています。
-中村さんは、最近もよく平和合金さんに来ているのですか?
【中村】
展覧会後、実は原型のお仕事を随分平和合金さんからいただいているんですよ。
たとえば、仏像とか。普段、人が拝む対象なんて彫刻家は作れないですから、そういうのを作る機会をいただけるのはありがたいですね。
ひとつひとつの彫刻にドラマがありますから、自分もそういうのに携われるのは貴重な経験です。
あとは、塗装も得意なので、大きいものは平和合金で、小さいものは自分のアトリエでさせていただいています。
【藤田】
哲也さんの原型はピシっと決まっているからいいんです。
鋳物のことを考えてくれているというのもあるし、細かいところまで手が入っていますし。
-中村さんは、高岡との関わりをどのように感じていますか?
【中村】
こうして関わっているのが結果的に高岡だった、というだけなんですが、実は僕の先祖が高岡出身だった、ということが後々分かったんです。うちの家系図を持っているお寺が近くにあるらしくて。
それも、この展覧会を機に親父に「今大きな作品を高岡で造っている」という話をしたら、「高岡か。うちは高岡の出だからな」って、ぽろっと言われて、それで初めて知ったんですよね(笑)。
高岡とは、そういう不思議なご縁なんです。
-平和合金さんと中村さんでまた次の展開も考えているのでしょうか?
【中村】
2016年の展覧会は当時最先端というか、みんなやったことのないことでしたが、考えてみたらもう4、5年前。もうひと昔前です。平和合金はもう次を見据えていますよ!
【藤田】
どんなことかはまだ言えないですが、新しいことをまた哲也さんと一緒にできたらと。
【中村】
わくわくすることって、1つではないじゃないですか。企画段階で「いいね」「面白いね」って言えることって、だいたい楽しいことが実現しますよね。
【藤田】
そういうのを、哲也さんと一緒にやっていければいいな、と思っています。
株式会社平和合金
明治42年の創業時より、花器、茶道具、仏具等を製造。二宮金次郎像をきっかけに大きな銅像も手がけるようになる。戦後の美術鋳造の需要増加に伴い、現在は銅像、仏像、モニュメント等大型作品を中心とした鋳造を行う。時代の変遷によって蓄積された、多様な鋳造方法による対応が可能で、現代アート作家からの依頼も多い。最近では精密鋳造といわれる複雑形状の製品制作にも挑戦している。
www.heiwagokin.co.jp/
中村哲也
1968年、千葉県生まれ。東京藝術大学で漆芸を学ぶ。プロダクトのもつ表面的な美しさやイメージを、彫刻作品として増幅、表現する現代美術作家。スピード感をモチーフとした大型彫刻を数多く制作する。パブリックアートやデザイン、企業とのコラボレーションなど、活動の幅は広い。成田空港など全国各地に大型のパブリックアートが設置されているほか、金沢21世紀美術館(石川県)など、全国の美術館に作品が収蔵されている。