レポート

この形がこの字なの?!高岡市立博物館の「初めての古文書教室」に参加してみた【「初めての古文書教室」レポート】

2019.01.17 UP

以前にこのサイトでもご紹介しましたが、高岡市立博物館では、博物館や地域に所在する未調査資料の調査・整理を地域の人々の手で行うことを目的に、「高岡古文書ボランティア」が2015年に創設されました。

これに先立つ2012年、「高岡古文書ボランティア」の設立を目指して、古文書調査・整理はまったく未経験だけど興味がある!という方に向けた、「初めての古文書教室(年6回)」が始まり、以降毎年開講されています。

 


 

  • 参考記事(2016.11.10):

その時代の一端を活き活きと見せてくれる“歴史の証言者”、古文書解読に挑戦しよう!「初めての古文書教室」、参加者受付中。/高岡市立博物館

その時代の一端を活き活きと見せてくれる“歴史の証言者”、古文書解読に挑戦しよう!「初めての古文書教室」、参加者受付中。/高岡市立博物館


 

今回、この「初めての古文書教室」第5講(2018/11/8実施)に参加してみましたので、その様子をレポートします!

くずし字の解読に挑戦するのは全くはじめてな筆者はやや緊張。受付で、教材として使用されている古文書(※)のコピーが渡されます。

 

※ちなみに、「古文書」とは、基本的に江戸時代以前の紙に墨で書かれた古い手紙のことを言いますが、高岡市立博物館の古文書ボランティアおよび古文書教室では、広く近代の古記録等も含めた歴史資料全般のことを指しています。

 

そっと一番後ろの席に座り、いざ聴講開始。

平日にもかかわらず、広い教室でたくさんの方が熱心に講義を受けています

 

今回解読を進めたのは、文政四年(1821年)に出され、天保三年(1832年)に写されたとされる「御定書」の一部。村の農民たちへの「戒め」として書かれたものです。講師の仁ヶ竹主査学芸員によると、この写本は村の肝煎(「きもいり」。リーダー的な役割をしていた人)によるもので、この写本じたいが、当時のこどもたちの書道の手本にもなっていたそうです。

 

実際の写本のコピーと、楷書で打ち直した資料がセットになっています

そう、当時の人は楷書ではなくくずし字を習ったのだとか。中世の「青蓮院(しょうれんいん)流」という書体を徳川家が採用したので、「御家(おいえ)流」ともいわれました。江戸時代には公私や身分を問わず広まった書体です。

それにしても、1つの漢字でも何通りものくずし方があることにまず驚きます。昔の人は、一人で何通りもくずしていたのか?どんなくずし方でも読めたのか?などなど、いろいろ興味が広がります。

渡された資料に添付されていた、代表的なくずし字の例

講義では、1文1文、1単語1単語ゆっくりと解読と解説が進められていきます。この形はこの文字なの!?という驚きとともに、「筋目」(=血筋・家計)、「頭振り」(=自分の田畑をもたない人)、「慮外」(=常識では考えられない)など、現代の普段の生活では使わない単語に出会って意味を知るのもまた興味深いです。

今回解読した文章は、たとえばこんな具合です。


 

  • 諸奉行ニかきらす何レ江対シ候而も、慮外成躰、且又不作法仕間敷事

=諸奉行や侍に対し、常識では考えられないようなこと、かつまた不作法なことをしてはならない。

 

  • 切支丹宗門御吟味ニ逢候末々之者、出生之者、或ハ養子聟嫁妻子与出来之者候は、早速可及案内候、死去跡之儀、可断筋目まがい不申様ニ可仕事

=キリスト教の宗門取り締まりにあった子孫や養子、婿、嫁、妻子などは速やかに上に報告しなさい。血筋が混じらないようにしなさい。

 


 

実際の古文書をゆっくり読み解くなかで、「士農工商」や「キリスト教の弾圧」など、歴史の授業で習ったことに通じるような内容に出会うと、教科書で読むのとは異なる、リアルな歴史に少し触れられたような感覚。

今回の講座で読んだのは、実際に博物館にすでに展示されているものですが、古文書の読み方への学びを深めてボランティアとして地域の未整理資料の解読に関わっていると、地域の歴史文化の知られざる魅力が発見できるかもしれません。もしかしたら、歴史的新発見につながることも!?

2018年度の「初めての古文書教室」は終了してしまいましたが(次回は2019年9月以降開講予定)、「高岡古文書ボランティア」は2019年1月19日(土)、2月16日(土)、3月16日(土)に、引き続き高岡市立博物館にて実施予定です。初心者の方も見学可能とのこと。

少しでも気になる方は見学から始めてみてはいかがでしょうか?

 


 

■問い合わせ先

高岡市立博物館

 〒933-0044 富山県高岡市古城1-5

  電話0766-20-1572/FAX 0766-20-1570

  メールアドレス info@e-tmm.info

 

◎高岡古文書ボランティア設立趣意書

http://www.e-tmm.info/tkb.pdf

 

◎「初めての古文書教室」(2018年度チラシ)

http://www.e-tmm.info/komonjyo30.jpg

 

 

 

 

 

お寺が地域にお返しをする番。【雲龍山勝興寺レポート#02】

2019.01.08 UP

 

前編、後編と全2回にわたる勝興寺レポート。

#01「宝物展から見る、勝興寺のおもしろさ」では、勝興寺の宝物を通じて勝興寺というお寺の持つ歴史を紐解きました。

今回は、お寺と人々の関係性が変わってくる時代背景のなかで、これからの勝興寺がどんな存在となっていくのか。勝興寺文化財保存・活用事業団の高田克宏専務理事とのお話を中心に展開します。

 


 

観光寺院でも、単なる貸し場所でもない、お寺であること

1998年からはじまった「平成の大修理」と謳われる勝興寺の保存修理工事も、開始からすでに20年ほどを数え、気づけば平成も終わりに差し掛かる今日この頃。本坊の一部公開に伴い、かねてより行われている地域の茶会に加え、音楽ライブやクラフトマーケット、ワークショップなどのイベントが勝興寺を舞台に催され、多様な人たちが足を運ぶようになっています。 僧侶、住民、ミュージシャンがともに企画した「ふるこはんフェス」※は、新たなお寺の可能性が開かれた一夜でもありました。

※ふるこはんフェス…2018年10月6日に勝興寺を舞台に開催されたイベント。コンサート、ワークショップ、クラフトマーケットのほか、音楽法要、坊主カフェなどを行った。TOP写真は、音楽法要のワンシーン。雅楽とシンセサイザーなどの音楽とともに経を唱える新しい形の法要を提案し、僧侶総勢30名と参加者がともに法要を行った。

 

前回に引き続き、お話を伺った高田専務

 

「基本的には、宗教上や保存上の問題がない限り、申請をいただければ本堂・本坊ともにつかっていただけます。これからも開かれた場所として、人が集まる場所になって欲しいと思っています。」(高田専務)

取材を行った当日も、本堂の一部と本坊の大広間でお茶会が開かれていました。静かに建物を見学するのも良いものですが、人びとの声があたたかく行き交う中では部屋の節々がぴかぴかと光っているようで、やっぱり建物は人が使ってこそ息吹を吹き込まれ、生きるものなのだとしみじみ感じ入るものがあります。イベントの効果もあってか、最近は見学に訪れる若い人も増えているそうです。

 

本坊の大広間で行われていたお茶会。一般の見学者の方とともに賑わいを見せていました

 

「 門徒さんは減っていますし、今の若い人にはお寺に寄進するという感覚はかなり薄れています。お寺を維持管理するためには、場所として使ってもらったり、観光である程度の収入を得る必要はあると思っています。」(高田専務)

お墓の形さえもかわりつつある今、若者たちがお寺や宗教行事に触れる機会は格段に減っています。お寺を支えていくことはもちろんですが、イベントや観光をきっかけに、人々にお寺を知ってもらうというのは一つの新しいアプローチです。「さりとて」と、高田専務は続けます。

「さりとて、宗教行事はしっかりやっていかな、いけんと思っているんです。まずは、きちんと、お寺であること。観光はあくまで二次的なことなんです。宗教施設としての機能をなくしてしまったら、信仰の対象としての、お寺の意味がなくなってしまう。単なる博物館になってしまったらきっと魅力もなくなってしまいます。勝興寺では、今もこれからも年中行事はしっかり行うし、もちろん納骨を受けたり、法事も受け付けています。若い人たちにも”通常のお寺での行事”にも触れてもらえたらなと思っているんです。」(高田専務)

 

 

親しみと畏敬の「ふるこはん」

ところで、「門徒さんが減っているとはいえ、勝興寺は長く、地域の人に支えられてきた」と高田専務は語ります。

勝興寺の土地は1万坪と非常に広大なのですが、建立当時から今に至るまで、土地も建物もほぼそのまま残っています。実は、「これってすごいこと」なのだとか。近現代になるにつれ、門徒からの寄進が減っていくなか、広大な土地や多くの建物を有する寺院は、その維持に困り、土地や建物を手放すことも多かったといいます。一方、勝興寺は、明治に入っても門徒さんたちに支えられたことにより、当時の形を保ちつづけてこられたのです。

「勝興寺は、本当に今まで、地元や門徒さんにお世話になって支えられてきた寺です。だからこそ、今度はお寺が地域にお返しせんなん時なんです。この寺が地域のまちづくりの核になり、まちづくりによって地域が潤うようになる。それこそが、勝興寺が地域がお返ししたことになるんじゃないかと思うんです。」(高田専務)

勝興寺の本堂は、どこか西洋建築の宗教施設に似た、荘厳で圧倒的な美しさみたいなものがそこにありますが、これも(もちろんある程度の庇護のもとであったとはいえ)、民の力が寄り集まって生まれた空間だと考えると、感嘆の想いがこみ上げてきます。地域の人は勝興寺を親しみと畏敬の念を込めて「ふるこはん」と呼ぶそうですが、崇高な雰囲気の中にあたたかさのようなものがあるのは、地域の人とのお寺の関係がそうだからかもしれません。

 

荘厳な雰囲気のなかでも、おだやかに時間が流れています

 

そうそう。勝興寺の見学には、 伏木にお住まいのかたを中心とする「比奈の会」によるボランティアガイドを受けることができます。ご自身で勉強なさった勝興寺の魅力を、皆さんがそれぞれの視点で紹介してくださるそう。ボランティアの方達が独自で調べるなんて、それだけでも勝興寺への愛みたいなものを感じて微笑ましくなってしまいます。看板に記された説明書きを読むよりもずっと、人から直接話を聞くというのは良いものです。「実はここはね」と話されると特別な秘密を知ったようで嬉しくもなります。

 

観光ボランティア「比奈の会」のガイドの様子

 

浄土真宗系のお寺は本来、開かれた場所です。お寺で人々は、時に集い、学んだり気づきを得たり、他者や自分と出会ってきました。

これから、かつてのお寺と門徒の関係でさある「講社」制が復活するということは考えにくいかもしれません。お寺と人の関係は、今以上に形を変えていくでしょう。「お寺」という場所の持つ意味が不確かになっている今だからこそ、あらためて勝興寺は「本来のお寺」を探り始めているのです。

 


 

雲龍山勝興寺

◆拝観情報

参拝時間:9:00~16:00(最終入場 15:30)

料金:工事協力金 大人500円/小人(中学生以下)無料

◆観光ボランティアガイド、勝興寺利用申込み

住所:〒933-0012 高岡市伏木古国府17番1号

TEL:0766-22-0037 

FAX:0766-44-0210

※観光ボランディアガイドの案内希望グループ、団体は3日前までに要連絡。個人も申込可能。

※ガイドには1人あたり1,000円の交通費を支払う必要あり

宝物展から見る、勝興寺のおもしろさ【雲龍山勝興寺レポート#01】

2019.01.07 UP

 

高岡市の海沿いに位置するまち伏木古国府に建つ、浄土真宗本願寺派の勝興寺(しょうこうじ)。

真宗王国であった越中における代表的な寺院であり、本願寺を支える連枝寺院の一つとして重要なはたらきをしてきたことに加え、本堂をはじめ12棟もの建造物が国の重要文化財に指定されているなど、多くの文化財を有することでも名を馳せています。1998年からは「平成の大修理」と称した大規模な保存修理工事に着手。2018年8月には、修理完成した本坊(お寺の住宅系の建物群)の一部公開がはじまり、同時にさまざまな関連行事とともににぎわいを見せています。

今回は、2018年10月20日(土)から11月4日までの間行われた「勝興寺宝物展」を起点に、勝興寺文化財保存・活用事業団の高田克宏専務理事に伺った、アツいお話を交えながら、前編、後編の2回にわたってお届けします。

前編は宝物展を通じて見える、勝興寺の面白さ、奥深さをレポート。

 


 

タライの概念がひっくり返される

昨年2018年の11月初旬、少し肌寒く、澄んだ空気に秋晴れが気持ちのよい休日の午後。「勝興寺宝物展」に足を運びました。今回の宝物展は、勝興寺の本堂一角にて催されており、「蒔絵の美」「女性の暮らし」「茶道具」「食の道具」といったテーマに沿って選ばれた14点の工芸品が並びます。さっそく、高田専務の説明を受けながら鑑賞をスタート。

ところで「宝物展」というと、博物館にあるような使用用途の不明な崇高な工芸品か、あるいは北陸では見慣れた江戸時代の加賀藩の品々が並ぶのだろう、と思う人も多いのでは。しかしその想像は1点目からすでに裏切られることに・・・。

みなさんは「盥(タライ)」と聞いてどんな姿を想像するでしょう。酢飯づくりに欠かせない木のタライ。洗濯板が似合うプラスチックの青タライ。コントで天井から落ちてくる金タライといったところでしょうか。しかし、ここ勝興寺で目の前に展示されている「秋草文蒔絵盥」は、そのどれにも当てはまりません。直径47.7センチの木桶の表面にふんだんに塗られた漆黒。その上で躊躇なく伸びやかに描かれる、菊の花をはじめとした秋の草花の金蒔絵。桶の縁を彩る金も小粋で、揃いのデザインの湯桶と並ぶと、なんとも優雅。つい「タライって何でしたっけ?」との問いが口からこぼれ落ちてしまいます。高田専務の「こんな豪華なタライで、顔は洗えんよね」という言葉にも、うんうんと強くうなづいてしまうのでした。

 

説明をしてくれる高田専務理事。手前に見えるのが「秋草文蒔絵盥」

 

しかし、この「秋草文蒔絵盥」の魅力は、単にその豪勢さだけにあるのではなさそうです。大ぶりのキャンバスに黒漆、大胆に描かれた金の花模様なんて、一歩間違えると、派手さばかりが目につく品位のないデザインともなりがちなもの。その点、「秋草文蒔絵盥」は、豪快なのに繊細、非常に美しく上品。大胆な図柄に反して奥ゆかしささえ感じるのはきっと、作り手の技の深さゆえ。一流の職人がつくりだしたものだというのは容易に想像できます。さらにその技が、飾り棚を賑わす工芸品ではなく、生活に欠かせない道具である「タライ」に施されているというのも、すごい。

艶の褪せた漆地と金蒔絵を見つめていると、その生活の香りみたいなものが感じられ、このタライを使って過ごしたであろう先代達の暮らしがどんどん知りたくなってきます。このタライで顔を洗ったのか、足湯のように使ったのか、湯を張ると蒔絵はどのようにゆらぐのか、水面に映る奥方はどんなお顔だったのか・・・。まさか、タライについてここまで熟考することがあるとは。恐るべし勝興寺・宝物展。

 

「秋草文蒔絵盥・湯桶」。一面にこれでもか、と施される金蒔絵。しかし気品が感じられると思いませんか?

 

そのほか、秀吉から拝領したとされる茶道具「烏帽子形南蕃水指」(桃山時代の作。金属製に見えるけれど陶器という独自の意匠)、「かわいい」現代的デザインが目を惹く青貝螺鈿の菓子入れ「花型螺鈿五段菓子器」(産地は不明だが桃山時代のものなので、高岡漆器ではないらしい)、お弁当と徳利を収納できる野外用弁当箱「菊花文蒔絵花見弁当」(江戸時代のもの。こんな弁当を持って花見に行ってみたい)など、産地も年代も意匠も形態もずいぶんと多様。展示数こそ少ないものの、勝興寺の厚みの感じられる、十分に見応えある展示なのでした。

それにしてもなぜ、北陸の一寺院にこのように全国津々浦々、幅広い産地から一流の品々が集まってきたのでしょうか。

 

武将や公家も一目を置く寺

そもそも勝興寺は、文明3年(1471年)本願寺八世蓮如上人により、越中における真宗布教活動の拠点として、現在の南砺市福光に開かれたお寺です。その後、戦国時代の複雑な世情により2度の移転を経て、天正12年(1584年)に現在の地へと移ったと言われています。戦国時代は越中一向一揆の先導に立って活躍し、越前朝倉氏、甲斐武田氏をはじめとする戦国大名や、本願寺、京都公家などと関係を深めていったのだとか。さらに藩政時代には、加賀藩前田家とも関係を濃くし、加賀藩の庇護のもとでさらに、繁栄を極めたとされています。

「 勝興寺が有するお宝は、秀吉や前田家から拝領した工芸品もあれば、天皇家からもらった硯箱などもあり、名家からのお輿入れに伴った婚礼道具もあります。」(高田専務)

前述の「秋草文蒔絵盥」も、加賀藩3代目藩主前田利常の養女で勝興寺第14代住職であった良昌に入興した「つる」の持参品だそう。しかし、よく考えてみると、不思議なのです。浄土真宗は民衆の宗教で、一向一揆なんてあるものだから武家としては敵対する身。前田家はもちろん、ほとんどの武将たちは主として禅宗を信仰しています。なぜ勝興寺は特別に庇護されるようになったのでしょうか。

「勝興寺は、北陸地方、真宗の触頭(ふれがしら)で、北陸一円のお寺の要望を吸い上げて本山に伝えたり、本山の指令を各寺に伝えたりと、地域の寺の取りまとめ役を担っていました。つまり、それだけ民衆たちの力を預かっていたということでもあります。 秀吉や前田家も、勝興寺に集まる民衆の力を恐れていたところはあるのだと思います。だから、特別な政治的配慮という意味でも、勝興寺に対して宝物を贈り、特別な庇護をしてきたのです。」(高田専務)

勝興寺が有する文化財は、国指定重要文化財の建造物12棟のほか、国指定重要文化財の美術品1点、工芸品や絵画、彫刻、古文書などの県指定文化財236点、さらに指定外の宝物を含めるとその数500点以上にのぼると言われています。当時の日本において、ある意味で、政治力よりも武力よりも恐れられていた民の結束力。強く固い民の信頼と思いの集まる場所だったからこそ、ここ勝興寺は、日本各地からこれほどまでに多くの優れたものが集まる場所ともなっていったのです。

 

「洛中洛外図屏風 勝興寺本(国指定重要文化財)」の一部「祇園祭」

 

それでも、残念ながら時代はめぐり、お寺や宗教と人々の関係性は明らかに変化しているというのが現状です。

「今の若い人たちは寺に寄進するという感覚は少なくなっています。墓じまいをする方も多いのが現状です。そういった意味では、寄進に頼ってお寺を維持管理していくのは難しいというのが正直なところです。」

そう、高田専務も語ります。

お寺と人々の関わりが希薄になっている今。平成の大修理完成を目前に、これから勝興寺はどうなっていくのか。次回は今後の勝興寺と、これからのお寺のあり方について、高田専務とのお話を中心にレポートします。

 

今回紹介した宝物展の展示は終了してしまいましたが、所蔵の宝物は一部デジタルアーカイブ化されており、こちらで鑑賞可能。ぜひごらんください。

◆勝興寺文化財デジタルアーカイブ

https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS02U/1620295100

 


 

雲龍山勝興寺

◆拝観情報

参拝時間:9:00~16:00(最終入場 15:30)

料金:工事協力金 大人500円/小人(中学生以下)無料

◆観光ボランティアガイド、勝興寺利用申込み

住所:〒933-0012 高岡市伏木古国府17番1号

TEL:0766-22-0037 

FAX:0766-44-0210

※観光ボランディアガイドの案内希望グループ、団体は3日前までに要連絡。個人も申込可能。

※ガイドには1人あたり1,000円の交通費を支払う必要あり