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雲龍山勝興寺レポート#01「宝物展から見る、勝興寺のおもしろさ」

2019.01.07 UP

 

高岡市の海沿いに位置するまち伏木古国府に建つ、浄土真宗本願寺派の勝興寺(しょうこうじ)。

真宗王国であった越中における代表的な寺院であり、本願寺を支える連枝寺院の一つとして重要なはたらきをしてきたことに加え、本堂をはじめ12棟もの建造物が国の重要文化財に指定されているなど、多くの文化財を有することでも名を馳せています。1998年からは「平成の大修理」と称した大規模な保存修理工事に着手。2018年8月には、修理完成した本坊(お寺の住宅系の建物群)の一部公開がはじまり、同時にさまざまな関連行事とともににぎわいを見せています。

今回は、2018年10月20日(土)から11月4日までの間行われた「勝興寺宝物展」を起点に、勝興寺文化財保存・活用事業団の高田克宏専務理事に伺った、アツいお話を交えながら、前編、後編の2回にわたってお届けします。

前編は宝物展を通じて見える、勝興寺の面白さ、奥深さをレポート。

 


 

タライの概念がひっくり返される

昨年2018年の11月初旬、少し肌寒く、澄んだ空気に秋晴れが気持ちのよい休日の午後。「勝興寺宝物展」に足を運びました。今回の宝物展は、勝興寺の本堂一角にて催されており、「蒔絵の美」「女性の暮らし」「茶道具」「食の道具」といったテーマに沿って選ばれた14点の工芸品が並びます。さっそく、高田専務の説明を受けながら鑑賞をスタート。

ところで「宝物展」というと、博物館にあるような使用用途の不明な崇高な工芸品か、あるいは北陸では見慣れた江戸時代の加賀藩の品々が並ぶのだろう、と思う人も多いのでは。しかしその想像は1点目からすでに裏切られることに・・・。

みなさんは「盥(タライ)」と聞いてどんな姿を想像するでしょう。酢飯づくりに欠かせない木のタライ。洗濯板が似合うプラスチックの青タライ。コントで天井から落ちてくる金タライといったところでしょうか。しかし、ここ勝興寺で目の前に展示されている「秋草文蒔絵盥」は、そのどれにも当てはまりません。直径47.7センチの木桶の表面にふんだんに塗られた漆黒。その上で躊躇なく伸びやかに描かれる、菊の花をはじめとした秋の草花の金蒔絵。桶の縁を彩る金も小粋で、揃いのデザインの湯桶と並ぶと、なんとも優雅。つい「タライって何でしたっけ?」との問いが口からこぼれ落ちてしまいます。高田専務の「こんな豪華なタライで、顔は洗えんよね」という言葉にも、うんうんと強くうなづいてしまうのでした。

 

説明をしてくれる高田専務理事。手前に見えるのが「秋草文蒔絵盥」

 

しかし、この「秋草文蒔絵盥」の魅力は、単にその豪勢さだけにあるのではなさそうです。大ぶりのキャンバスに黒漆、大胆に描かれた金の花模様なんて、一歩間違えると、派手さばかりが目につく品位のないデザインともなりがちなもの。その点、「秋草文蒔絵盥」は、豪快なのに繊細、非常に美しく上品。大胆な図柄に反して奥ゆかしささえ感じるのはきっと、作り手の技の深さゆえ。一流の職人がつくりだしたものだというのは容易に想像できます。さらにその技が、飾り棚を賑わす工芸品ではなく、生活に欠かせない道具である「タライ」に施されているというのも、すごい。

艶の褪せた漆地と金蒔絵を見つめていると、その生活の香りみたいなものが感じられ、このタライを使って過ごしたであろう先代達の暮らしがどんどん知りたくなってきます。このタライで顔を洗ったのか、足湯のように使ったのか、湯を張ると蒔絵はどのようにゆらぐのか、水面に映る奥方はどんなお顔だったのか・・・。まさか、タライについてここまで熟考することがあるとは。恐るべし勝興寺・宝物展。

 

「秋草文蒔絵盥・湯桶」。一面にこれでもか、と施される金蒔絵。しかし気品が感じられると思いませんか?

 

そのほか、秀吉から拝領したとされる茶道具「烏帽子形南蕃水指」(桃山時代の作。金属製に見えるけれど陶器という独自の意匠)、「かわいい」現代的デザインが目を惹く青貝螺鈿の菓子入れ「花型螺鈿五段菓子器」(産地は不明だが桃山時代のものなので、高岡漆器ではないらしい)、お弁当と徳利を収納できる野外用弁当箱「菊花文蒔絵花見弁当」(江戸時代のもの。こんな弁当を持って花見に行ってみたい)など、産地も年代も意匠も形態もずいぶんと多様。展示数こそ少ないものの、勝興寺の厚みの感じられる、十分に見応えある展示なのでした。

それにしてもなぜ、北陸の一寺院にこのように全国津々浦々、幅広い産地から一流の品々が集まってきたのでしょうか。

 

武将や公家も一目を置く寺

そもそも勝興寺は、文明3年(1471年)本願寺八世蓮如上人により、越中における真宗布教活動の拠点として、現在の南砺市福光に開かれたお寺です。その後、戦国時代の複雑な世情により2度の移転を経て、天正12年(1584年)に現在の地へと移ったと言われています。戦国時代は越中一向一揆の先導に立って活躍し、越前朝倉氏、甲斐武田氏をはじめとする戦国大名や、本願寺、京都公家などと関係を深めていったのだとか。さらに藩政時代には、加賀藩前田家とも関係を濃くし、加賀藩の庇護のもとでさらに、繁栄を極めたとされています。

「 勝興寺が有するお宝は、秀吉や前田家から拝領した工芸品もあれば、天皇家からもらった硯箱などもあり、名家からのお輿入れに伴った婚礼道具もあります。」(高田専務)

前述の「秋草文蒔絵盥」も、加賀藩3代目藩主前田利常の養女で勝興寺第14代住職であった良昌に入興した「つる」の持参品だそう。しかし、よく考えてみると、不思議なのです。浄土真宗は民衆の宗教で、一向一揆なんてあるものだから武家としては敵対する身。前田家はもちろん、ほとんどの武将たちは主として禅宗を信仰しています。なぜ勝興寺は特別に庇護されるようになったのでしょうか。

「勝興寺は、北陸地方、真宗の触頭(ふれがしら)で、北陸一円のお寺の要望を吸い上げて本山に伝えたり、本山の指令を各寺に伝えたりと、地域の寺の取りまとめ役を担っていました。つまり、それだけ民衆たちの力を預かっていたということでもあります。 秀吉や前田家も、勝興寺に集まる民衆の力を恐れていたところはあるのだと思います。だから、特別な政治的配慮という意味でも、勝興寺に対して宝物を贈り、特別な庇護をしてきたのです。」(高田専務)

勝興寺が有する文化財は、国指定重要文化財の建造物12棟のほか、国指定重要文化財の美術品1点、工芸品や絵画、彫刻、古文書などの県指定文化財236点、さらに指定外の宝物を含めるとその数500点以上にのぼると言われています。当時の日本において、ある意味で、政治力よりも武力よりも恐れられていた民の結束力。強く固い民の信頼と思いの集まる場所だったからこそ、ここ勝興寺は、日本各地からこれほどまでに多くの優れたものが集まる場所ともなっていったのです。

 

「洛中洛外図屏風 勝興寺本(国指定重要文化財)」の一部「祇園祭」

 

それでも、残念ながら時代はめぐり、お寺や宗教と人々の関係性は明らかに変化しているというのが現状です。

「今の若い人たちは寺に寄進するという感覚は少なくなっています。墓じまいをする方も多いのが現状です。そういった意味では、寄進に頼ってお寺を維持管理していくのは難しいというのが正直なところです。」

そう、高田専務も語ります。

お寺と人々の関わりが希薄になっている今。平成の大修理完成を目前に、これから勝興寺はどうなっていくのか。次回は今後の勝興寺と、これからのお寺のあり方について、高田専務とのお話を中心にレポートします。

 

今回紹介した宝物展の展示は終了してしまいましたが、所蔵の宝物は一部デジタルアーカイブ化されており、こちらで鑑賞可能。ぜひごらんください。

◆勝興寺文化財デジタルアーカイブ

https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS02U/1620295100

 


 

雲龍山勝興寺

◆拝観情報

参拝時間:9:00~16:00(最終入場 15:30)

料金:工事協力金 大人500円/小人(中学生以下)無料

◆観光ボランティアガイド、勝興寺利用申込み

住所:〒933-0012 高岡市伏木古国府17番1号

TEL:0766-22-0037 

FAX:0766-44-0210

※観光ボランディアガイドの案内希望グループ、団体は3日前までに要連絡。個人も申込可能。

※ガイドには1人あたり1,000円の交通費を支払う必要あり

 

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