世界に開かれたバレエ教室が高岡市にあることをご存知ですか?
可西晴香さんが代表を務める「可西舞踊研究所」は、クラシックバレエを基礎とするモダンダンスや日本の伝統舞踊を取り混ぜたダンス・パフォーマンスが高く評価されている国際的な舞踊研究所です。プラハフェスティバル・ダンスプライズ2003では、グランプリを受賞し、毎年プラハに留学生を輩出。ベルギー、ドイツ、ハンガリー、モナコ、中国、アメリカ、インドなど、世界中から招致を受け舞台公演を開催してきました(※新型コロナウィルスの影響で現在は中断中)。
振付師・演出家として国際的に活躍される可西さんですが、初めからその道を志していたわけではありません。小学生の頃、肥満気味で動きが鈍いからと、たまたま親に通わされた初代・可西舞踊研究所でバレエを続けるうちに魅力に目覚め、創設者の可西希代子さんに育てられたといいます。
「頑張られ、じゃなくて、頑張ってるね、と声を掛けてもらったことがあって、凄く嬉しかったのを覚えています。見てくれているんだなとわかると、もう少し頑張れると思えて。年が上がってくると下の子を指導する立場になって、教える仕事にも強く魅力を感じました。教えることで、相手からいただけるものがたくさんあるんです。希代子先生にも『指導者になりなさい』と言われて育てられました」
可西舞踊研究所の創設は1948年。可西さんが2代目の代表になったのは1995年。わずか36歳のときでした。
「ちょうど子どもが生まれたばかりで、周りからは『無理だろう』と見られていました。大変でしたよ、子育てして、家事をして、両親の世話もあって。ただ暮らしのふとした瞬間に踊りを思いついたりもする。生活のなかから生まれてくるものがあるんですよ」
「2代目って必ず初代と比べられて、苦しいですよね。でもどれだけ努力したところで、希代子先生にはなれない。継いだものを守りつつ、私ならではのやりかたを開いてくれたのが海外との繋がりでした」
富山県芸術文化協会を通じた海外公演の誘いを受けたところから、繋がりが繋がりを呼び、どんどん世界各国での公演が実現していきました。その展開力には晴香さん自身も驚くものがあったといいます。
「国内では、流派や系列などのしがらみも多いですが、国外の世界はそういうことを全くとっぱらってくれる場でした」
1990年にドイツで開かれた第1回ドイツ・リンゲン世界こども演劇祭に参加した際には、子どもたちの目を見張る成長に驚いたといいます。以来、4年ごとの芸術祭に毎回参加し、2000年からは富山県の事業として「とやま世界こども舞台芸術祭」を招致、現在は実行委員長を務めています。そんな可西さんだからこそ、若者を育てる年長者の姿勢には思うことがあるそうです。
「上の人は下の人に覆いかぶさって蓋をしてはいけません。『若い奴は黙っとられ』、そういう価値観がまだまだあるように感じます。でも制約ばかりで新しい発想を縛っていては、ものごとは停滞します。邦楽とバレエが組んだっていい。実験的な試みから生まれるものがたくさんあるんじゃないでしょうか」
「自由な発想と表現力を磨くこと。外国の人との交流と今生の別れを経験して、出会いの尊さを知ること。集団のなかでそれぞれに違う、自分ならではの役割を見出すこと。ここには踊りだけじゃない学びがたくさんあると思います。どんな人であっても、やっても無駄だよ、とは言いたくない。その人ならではのできることを伸ばしていってあげられたらと、いつも思っています」
※肩書は取材当時のものです