2025年10月10日、富山大学名誉教授の漆藝家、林曉(さとる)さんが「髹漆(きゅうしつ)」の重要無形文化財保持者(通称:人間国宝)に認定されました。富山県内在住者では3人目、現役では唯一の保持者です。
髹漆とは、漆を塗ることを主とする、漆藝(しつげい)の基本技法。素地(きじ)の造形から、下地づくり、塗りと仕上げに至る広い工程にわたり、それぞれに多様な技術が求められます。
「何よりも『美しさ』を求めて生きてきました。私よりも高い技術をお持ちの方はたくさんいらっしゃいますが、認定にあたっては、漆芸における総合的な技術を評価いただけたと感じています。」
東京藝術大学に通った学生時代から、いずれも漆に関わる重要無形文化財保持者の田口善國(たぐちよしくに)、増村益城(ますむらましき)等に師事。富山大学(当時は高岡短期大学)に着任後は教育者として工芸教育の基盤を築きながら、格調高い造形表現による独自の世界を切り拓いてきました。
「美しさって無限にあるんです。ただその周りに美しくない状態も無限にある。美しさに辿り着くのは人間業ではないとも感じる。突き詰めようともがくのはある種の狂気です。そういうことをずっとやってきました。」
作品の特徴は、漆に関する深い理解と技術に支えられた「器形(きけい)」にあります。手技の研鑽を基盤としつつ、美しさを追い求めるなかではCADや3Dプリンタも自在に使いこなします。
「せっかく今の時代を生きているんだから、使えるものは使った方がいいと思っています。手だと無意識に避けてしまう形がありますが、デジタル空間で考えると制限が外れる。そこに漆を塗る手はどう応えられるか。デジタルの利用から新しい技法や形が生まれてくるのがおもしろいですね。」
「工芸のような用途のあるものは芸術とみなさない考えがありますが、それはもうやめたほうがいい。これはアートだ、工芸だと分けずに、描画、形、素材、技術、用途、経済性、バランスで成り立っている全体をまるごと捉える感覚が日本人の中にはある。それがかえっていま、海外の人に新鮮な感覚として響いています。」
ロンドンの美術館など、世界各地から収蔵の依頼があるという林さん。高岡漆器の未来について尋ねると、原点に立ち戻っても良いのではないか、と話してくださいました。
「高岡漆器はある時期から、産業として漆ではなくウレタンやカシューを使う方向へ舵を切りました。産業的メリットが今後もあり続けるのか。今また改めて、漆を使うものづくりを考えてみても良いのではないでしょうか。細かい蒔絵や超絶技巧には漆のほうが圧倒的に可能性がありますし、色艶も全く違う。技術習得のよろこび、生きがいとしても自然素材を扱う魅力は大きいと思います。」
とはいえ「漆の伝統を守るべきだ」といった考えが中心にあるわけではない、とも。
「伝統とは充電された蓄電池のようなもの。だから使えばいいんです。使わなければ何にもならない。髹漆が文化財に指定されているのは、民族のアイデンティティとして重要でありながら、保護しなければ絶えてしまうものだから。ただそこで自分がどうするかといえば、やればいいだけなんですね。目的をみつけられて、自分の生きがいを託し込めるようであれば、やればいいじゃないかと。」
「学生には、人間はどんなふうにしても生きていられるよ、とよく言っています。今の時代はレールに乗ってないと生きていけないと幼い頃から思い込まされるけど、どうやっても生きていくことはできる。あんまり心配しないで自分がおもしろいと思うことをすればいい。」
そう話す林さんには、明確な人生の目的があります。
「ひとことでいえば、愛と喜び。私にとってものをつくることは、美しさを基準に、愛と喜びを表現することです。たとえば建築のように依頼からはじまる仕事ではないけれど、つくったものが誰かをよろこばせるものであってほしいと思う。最終的なところは同じなんだと思います。」
「なぜ、世界中の都市の中心に美術館があるのか。美術品は次の時代を示す『道しるべ』だからではないでしょうか。美術品は生活の潤いだとか、心の安らぎのためにあると思う人は多くて、それもそうなんだけど、もっと大きな意味、生き方を示すような力がある。私はそう思います。」