400年の歴史という

  幹からできた「実」を、

  美しく出荷していきたい。

(上)人気の工場見学。千春さん自ら案内することも多い。(下)鋳物製作体験。生型鋳造法という伝統技法で型作りを体験し、錫製品をつくる

併設ショップにはこのショップだけの限定品も多数。贈り物や記念品に適した幅広いラインナップを揃える。

スタイリッシュで涼やかな音を響かせる真鍮製の風鈴、手で曲げて自在に形が変えられる錫(すず)100%のバスケット「KAGO」シリーズを皮切りに爆発的な人気を獲得し、常に新しいことに挑戦し続ける(株)能作。能作千春さんは、高岡の伝統産業のリブランディングに大きく貢献するこの鋳物メーカーで、工場見学・鋳物製作体験などの産業観光のほか、人材育成、採用、広報、商品開発、店舗管理、新事業等々、社業全般を見渡しながら、多岐にわたる業務をこなしています。

 

■偶然に家業を“再発見”した神戸時代

能作家の長女として生まれた千春さんですが、高校卒業後は神戸の大学に進学し、夢だった編集者という道に進んでいました。「アパレル通販誌の編集者です。東京にモデルの撮影に行くなど、仕事は華やかで楽しかったです。そこで骨を埋めるのかなとも思っていたけれど、ずっと家業や家のことが念頭にありました」。

編集者として3年くらい経ち、仕事がちょうど面白くなってきたころ、その転機は訪れました。ある日、普段から憧れる、目利きにうるさい直属の上司が、「神戸のセレクトショップでこんなの見つけた」と言って見せてくれた商品を見て、千春さんは驚きます。

「能作の錫製品だったんです。妹がデザインした、花型のトレイだったと思います。まだ職人の数も少ないのに、神戸のセレクトショップにまで商品を展開しているなんて、すごいな、と感動したんです」。

それがきっかけとなり、家業に戻る決意を固めた千春さん。現社長の能作克治氏が、3年間新聞記者を務めた後に能作に婿入りしたということもあり、千春さんのなかでも「3年」という区切りが心のどこかにあったのだといいます。

 

■いくつもの転換期を乗り越えて

家業に戻ってきたのは、ちょうど商品の発注数が増え、何から何まで手が足りなかったころでした。生産現場のことを学びながらも、まず行ったのは受注から生産、発送までの体制を整えること。それまで口頭で伝えていた生産依頼を書面にしたり、それまで机の上で社員が梱包していたところを、梱包室を作ってパートさんを雇ったり。

「一番面白い時期に帰ってこれたなと思います。一気に勉強することができて、ものをつくるところから出荷に至るまでの行程も、そこですごく身につきました」。それから結婚、1人目の出産を経て、社屋移転の話が出始めたのは2人目の出産を迎えたころ。産後4ヶ月で職場に復帰してからは、移転の準備期間から移転後の現在に至るまで、がむしゃらに、朝夜関係なく走り続けています。

移転後しばらくして社長が体調を崩し、しばらく出社できなくなったこともまた、千春さんを大きく成長させた1つの転換期になりました。社長不在となった3日後には、全国から何千人もの市長の集まる前でのパネルディスカッション。そしてその月の半分は、社長が出るはずだった講演の予定でびっしり。その代役を務める傍らで、通常業務も子育ても、当然行わなければなりません。当時を振り返り、「もう無理!と思いました」と笑いながらも、こう話してくれました。

「それまで社長に頼っていた部分がすごく大きかった。社長がいないっていう場に直面したとき、もうやらなきゃいけない、やるしかないっていう覚悟がそこで決まりました。私も背負っていこう、背負っていかなきゃいけないって。社長の代役で外に出ることが増えて、結構酷なこともいっぱいしてきたけど、その分自分も周りも、半端なく成長しているのを感じます」。

 

■地元の子どもたちに伝統産業の素晴らしさを伝えたい

2017年4月にオープンした新社屋では、平日の昼間も多くの女性客がカフェやショップを訪れ、製作体験や工場見学には、個人客だけでなく国内外の団体客がごった返しています。自社の事業や魅力を伝えるだけでなく、富山県全体の観光拠点となることを意識した「産業観光」への本格的な取り組みは、「産業観光部」を移転半年前の2016年9月から組織し、千春さんがその部長となって準備を進めてきました。

旧社屋でも以前から工場見学は受け入れていたのですが、移転にあたって子どもを持つ主婦層とそこから広がるネットワークをターゲットに設定し、様々な戦略を立案。新社屋オープン後、親世代や子世代が好む企画を次々と打ち出してきました。来場者層の広がりとともに、常にサービスを改善しながら、元コンシェルジュだった方や英語が堪能な方を登用したり、社員誰でも会社案内ができるように教育したりなど、人材の育成・確保にも力を注いでいます。

「産業観光で大切にしていることって、色んな目的があるんですよ。地方創生とか地域のためにとか、技術をより正しく伝えたいとか色々あるんですけど、一番の目的は、やっぱり地元の子どもたちに産業の素晴らしさを知ってもらい、地域を愛する子どもを増やし、ゆくゆくは担い手を作っていきたいということなんです」。

その言葉が示す通り、数ある工夫のなかでも特に力を入れているのが、子どもたちを楽しませること。たとえば、鋳物の説明に紙芝居やクイズを使ったり、電車ごっこで工場を回ったり、鋳物製作体験とお子様ランチで卒園の思い出づくりをしてもらったり。それらを単体で見れば、金銭的な利益にはつながっていないかもしれない。でもやる意義はあるのだ、と千春さんは力強く語ります。

スタッフと一丸となり、心を尽くして産業観光に取り組んで約2年。見学後に自然とショップで商品を購入するお客さんが増えていたり、気づかなかったところで新たな取引に繋がっていたり、生のお客様の声が次の取り組みのヒントになったりと、目に見える形でも見えない形でも、多くの効果が出ているようです。また、見学に来たお客様からのお手紙などは食堂に貼って、職人のみなさんも読むことができるようにしているそうです。

 

■やりたいことが、常に頭を駆け巡る

「最近は私、ウェディングプランナーなんです。ものすごく奥深いですよ(笑)」。そう千春さんが言うのは、2019年年明けにリリースしたブライダル事業が理由です。結婚25年目の銀婚式や50年目の金婚式はよく知られていますが、10年目が「錫婚式」であることはまだまだ有名ではありません。それでも実際には、「10年目の錫婚式で思い出を作りたい」というご夫婦やご家族の方からの要望が度々ありました。新しく始めた事業は、10年目の「錫婚式」を祝うプランを、フォトウェディングやお食事、体験、記念品などで能作がプロデュースするというものです。リリース後10組だけ募集したモニターは、すぐに募集が殺到し、あっという間にすべて埋まってしまったのだそうです。

「ものづくりだけでなく、その背景や心を伝えることに力を入れてきましたが、さらに“いい時間”というものをそこにプラスして提供することができれば、新しい形のサービスが生まれるんじゃないかと思うんです」。そういう思いで、今後「ブライダル」の分野に力を入れていきたいという千春さんですが、やりたいことはそれだけにとどまりません。

「社長が体調を崩したときも大変だったけど、今も大変なんです!」といいながらも、「やりたいことがたくさんあって、時間がいくらあっても足りなくて。何から優先してやろうかな、て思うんですけど」と、生き生き幸せそう。お客様に向けたイベントや販促企画だけでなく、たとえば社員向けには、本社工場に併設するカフェ「IMONO KITCHEN」のカレーを社員食堂で提供する「カレーの日」を設けるなど、様々な場でアイディアを日々実現させています。

もともとは、伝統や高岡銅器、ものづくりといったことよりも、新しいことを考えていくほうが好きだった、という千春さん。けれど最近になって、400年の歴史や職人の技術という「幹」の部分があってこそ、自信を持って自社製品を世に送り出すことができ、またその上に産業観光も成り立つ、ということを再認識するようになったといいます。そして、以前から認識としてあった会社の方向性を、スローガンとして改めて文字化。その内容は「チャレンジ精神をもって、伝統産業に轍(わだち)をつけよう」というもので、現社長がその思いで進んできたその歩みを止めたくない、という千春さんの強い願いが表れていました。

「医療分野や海外への進出など、いろいろ新たな挑戦をやっているけど、それがあるのは、しっかり栄養を与えられた幹があるからだなって。その実をいかに美しく出荷するかが私の仕事なんだなって思います。常に能作の実がなる木を頭に描きながら、いろいろな実をつけていきたいと思っています」。

※肩書は取材当時のものです

株式会社 能作

住所:富山県高岡市オフィスパーク8-1

電話:0766-63-0001(見学・体験等問合せ)

www.nousaku.co.jp

(株)能作 専務取締役

能作千春/CHIHARU NOUSAKU  

【Profile】

高岡市出身。神戸の大学を卒業後、2007年に神戸市内のアパレル関連会社で通販誌の編集に携わる。2010年に株式会社能作に入社し、現場の知識を身につけるとともに受注業務にあたる。2013年に結婚後、第1子を出産。同年、製造部物流課長に就任。2015年に第2子を出産。同年、取締役に就任し、新社屋移転に向け産業観光部長として新規事業の立ち上げに携わる。2018年10月に専務取締役に就任し、現在は能作の“顔”として会社のPR活動に意欲的に取り組んでいる。